WALL

築地塀とは

ついべいとはいわゆる土塀のことで、単についとも言います。主に、石垣を台座として塀の中心となる部分に木の柱を立て、柱を中心に木枠を組み、そこに練り土(粘土質の土に油や藁などを混ぜた土)を入れて棒で突き固める版築はんちく工法で作られたものを呼びます。塀の上部には雨除けに瓦屋根が葺かれ、表面も漆喰で仕上げられました。

古くは土のみで作られましたが、強度を増すため、雨水から守るため、染み込む雨水の水はけを良くする為に、瓦を間に入れて作られるものも登場しました。その場合も、表面に瓦が見えないように全体的に漆喰で仕上げるものと、あえて瓦を見えるように瓦と瓦の間を漆喰で仕上げるものなど、様々です。

ついは、もとはつきひじと呼ばれていたとされます。字のごとく泥を積み上げて作ることからそう呼ばれており、のちに築地と転じたため、つきべいではなくついべいと発音するのですね。

観音寺の築地塀

観音寺の築地塀は幕末の頃に築かれたもので、当寺は観音寺の境内の東面と南面を囲っておりましたが、南面のみ現存しています。大正十三年(1923)に起こった関東大震災により一部倒壊しましたが、第一次世界大戦終戦から始まった戦後恐慌によって物資も少ない折、文化財保護の観点からも、できうる限り元の資材を使用して倒壊箇所が組み直されました。その後、経年による細かな損傷は見られましたが、補修を重ね、江戸時代往時の姿を今日に残しています。

そうした、江戸時代から続く有数の寺町である谷中の当時の面影を伝え、歴史的景観に寄与するということから、平成十二年(2000)に国指定の有形文化財に登録されました。

また平成四年(1992)には、歴史的文化財の多い台東区に於いてまちかど賞を受賞するなど、寺町谷中のシンボルの1つとして、映画やドラマのロケ地に選定されたり、雑誌にも多く紹介され、谷中、根津、千駄木の、いわゆる谷根千エリアの散策に訪れる多くの方に親しんで頂いております。当寺としては、現在のこうした状況に感謝すると共に、今後も築地塀の保全を行い、多くの方に江戸情緒を感じて頂けるよう努めて参る所存です。

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